今、すべての企業が注目すべき「ビジネスと人権」とは?(2024年8月 サステナブル・ブランド ジャパン(SB-J)掲載)
※2024年8月21日付のサステナブル・ブランド ジャパン(SB-J)の記事を一部変更して掲載しています。
サステナブル・ブランド ジャパン(SB-J)コラム連載「『ビジネスと人権』:今とこれからを考える」(弊社プリンシパル 矢守 亜夕美監修, 第1回(全10回))
最近、経済ニュースや新聞で「人権」という単語をよく目にするようになったと感じている方は多いのではないでしょうか。「人権デューディリジェンス」などの言葉を聞いたことがあるけれど、その意味はよく分からない……という方も少なくないでしょう。数年前まで、ビジネスの世界で「人権」という言葉が使われることは、ほとんどありませんでしたが、今では企業にとって非常に重要なテーマの一つになっています。国や政府だけでなく、企業も人権尊重の責任を果たすべきだという考え方や、そのための取り組みを「ビジネスと人権(Business and Human Rights)」と呼びます。
この連載では、全10回にわたって、「ビジネスと人権」の考え方や企業の取り組み事例、特に注目すべきトレンドなどを分かりやすく解説していきたいと思います。
なぜ、今「ビジネスと人権」が重要なのか
まず、そもそも「人権」とは何でしょうか。
国連の世界人権宣言の第1条には「すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である」とあります。また、日本国憲法の第97条では、基本的人権について「侵すことのできない永久の権利」と書かれています。人権とは、人間が尊厳をもって平等に生きる権利のことであり、すべての人が生まれながらにして持っているものだと言えるでしょう。
かつては「人々の人権を守る責任は国家や政府が負うもの」と考えられていましたが、世界規模でビジネスを展開する大企業が増え、社会の中で企業の影響力がどんどん大きくなってきたことで、状況が変わってきました。企業がその活動の中で、人権に悪影響をもたらしてしまうことが増えてきたのです。
例えば「製造を委託している工場で、実は児童労働や強制労働が行われていることが発覚した」といったケース、「店舗で働く従業員が、障がいのあるお客様に差別的な対応をしてしまった」ケース、「社内でパワハラや長時間労働が常態化し、従業員が心身を壊してしまった」ケースなどが挙げられます。
このように、企業活動に関わるすべての人々(従業員、顧客や消費者、バリューチェーン上で働く人々、先住民や地域住民など)の人権を侵害してしまうリスクのことを「人権リスク」と呼びます。あらゆる企業にはこの「人権リスク」を予防する責任がある、という考え方が主流になってきたのです。こうして、これまで別々に考えられてきた「人権」と「ビジネス」の関係性に注目が集まり、「ビジネスと人権」という一つのテーマとして議論されるようになりました。
この議論を踏まえて、2011年に国連人権理事会が採択したのが「ビジネスと人権に関する指導原則」です。「すべての企業には人権を尊重する責任がある」ことを初めて明言した画期的なもので、これ以降、多くの国や地域が、企業に人権尊重の取り組みを求める法律を作ってきました(国連指導原則や各国のルールの最新動向については、第2回で解説します)。
近年、中国・新疆ウイグル自治区での強制労働の疑いや、ウクライナやパレスチナ・ガザ地区への軍事侵攻など、人権や平和に深刻な危機を及ぼすような出来事が次々と報じられています。こうした状況の中で、企業が人権侵害を助長したり関わったりすることがないよう、社会全体から強い期待がかけられています。つまり、「人権尊重」の観点を無視した企業やビジネスは、もはや成立しないのです。
「人権リスク」を放置するとどうなる?
人権リスクとは、先ほど述べた通り、企業活動で影響を受ける個人や集団にとってのリスクのことで、「ビジネスリスク(企業にとってのリスク)」と同じ意味ではありません。ですが、人権リスクを放置していれば、もちろんビジネスにも深刻な影響が出てきます。
企業による人権侵害が発覚すると、例えば、消費者による不買運動で売上が下がってしまうかもしれませんし、取引先から発注を止められてしまうかもしれません。訴訟へ発展した場合、その対応などでコストがかかり、利益が圧迫されますし、ブランド価値にも傷がつきます。優秀な人材が辞めてしまう、もしくは入社してくれなくなる、といったこともあるでしょう。
こうしたビジネスへのリスクを避けるためにも、人権リスクを予防する取り組みは極めて重要なのです。
例えば昨年、有名芸能事務所での性加害疑惑が発覚した際には、国内外から強い批判を浴び、取引を停止する企業も続出しました。結果として、事務所は経営陣や社名などを変更し、被害者への救済を進めることになりました。さまざまな問題はまだ解決していませんが、「深刻な人権侵害が発覚すると、どんな有名企業でも「会社ごと無くなる」可能性すらある」ことを多くの方が実感したのではないでしょうか。
海外でも同様の例が多くあります。アメリカのある大手アパレル企業では、1990年代に製造委託先の工場で人権問題が発覚し、大規模な不買運動が起こりました。工場の労働者が劣悪な労働条件で働かされ、管理者から暴行や性的嫌がらせも受けていたことが分かり、それに抗議する形で消費者が不買運動を行いました。その結果、同社は5年間で約1兆4000億円の売上を失ったとされています。その後、同社は委託先工場の労働環境の改善に力を入れ、今ではサステナビリティ先進企業として知られています。ですが、もし人権対応を強化していなければ、事業継続も難しかったかもしれません。
最近では、企業へのESG(環境・社会・ガバナンス)評価の中でも「S(Society:社会・人権)」のテーマが特に重視されるようになってきています。人権への取り組みに力を入れる企業ほど、投資家からも高い評価を受けられるようになっているのです。「ビジネスと人権」に取り組むことが企業にとっていかに重要か、少し具体的にイメージしてもらえたでしょうか。次回は、海外や国内でどのようなルールやガイドラインが作られているのか、最新動向をお伝えしたいと思います。
人権を尊重し、社会課題を解決する「人にやさしいビジネス」をどのように作っていけるのか。
この連載を通じて、ぜひ一緒に考えていきましょう。
株式会社オウルズコンサルティンググループ
プリンシパル
矢守 亜夕美
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