1. 産業政策と同志国連携による経済安全保障の強化
コロナ禍、米中対立、ロシアのウクライナ侵攻を受け、世界の主要国は挙って経済安全保障の強化に取り組んでいる。なかでも、「21世紀最大の地政学的試練」と位置付けた中国との競争を念頭において取り組みを進める米国が主導的役割を果たしている。
アントニー・ブリンケン国務長官はかつて、バイデン政権の対中戦略を、「投資し、連携し、競争する」(invest, align, compete)と表した。これに則り、米国は連邦政府主導の産業政策により、国内産業基盤の強化とサプライチェーン強靱化のための「投資」を推し進めている。こうした産業政策は、日本や欧州連合(EU)をはじめとする多くの国にも広がっている。また、米国とこれらの同盟国・同志国との「連携」の強化も進められている。
米国の進める産業政策と同志国連携による経済安全保障強化の取り組みは、グローバルな貿易秩序のあり方や日本を含む各国の経済安全保障強化の取り組みなど、多様なレベル・形で多大な影響をもたらし、日本企業の事業活動も当然にその影響を免れない。以下では、その日本企業への影響に留意しつつ、バイデン政権が現在進めている産業政策と同志国連携の動きを概観したい。
2. バイデン政権が進める産業政策
バイデン政権は発足当初より、国家安全保障及び経済安全保障の強化のため、連邦政府主導の産業政策による国内生産基盤強化・サプライチェーン強靱化を進める方針を示してきた。2021年2月24日の「サプライチェーンに関する大統領令」及びこれに基づく報告書は、「バイ・アメリカン」の強化(政府調達における国内調達率の引き上げ・国内製品要件の厳格化)など、自国優先・保護主義的施策を厭わず、その実現を目指す姿勢を明確にしている。
それが改めて確認されたのが、「新ワシントン・コンセンサス」として注目された2023年4月27日のジェイク・サリバン国家安全保障担当大統領補佐官による演説である(図表1)。同演説でサリバン大統領補佐官は、市場原理を過信したことが米国の国内産業基盤の空洞化を招いたとして、「現代的な産業戦略(a modern American industrial strategy)」によって米国内に新たな産業基盤を構築するというバイデン政権の政策を訴えた。
この「現代的な産業戦略」は、「経済成長の基盤であり、国家安全保障の観点から戦略的であり、民間だけでは国家的野心の確保に必要な投資を行う態勢が整っていない分野を特定し」、「これらの分野に的を絞った公共投資を行い、長期的な成長の基盤を築くための民間市場、資本主義、競争の力と創意工夫を解き放つ」ものと説明されている。同戦略により、今後10年間の官民合わせた投資は3.5兆ドルに達するとしている。
その具体策としてバイデン政権が喧伝しているのが、「インフラ投資・雇用法(Infrastructure Investment and Jobs Act : IIJA)」(2021年11月15日成立)、「インフレ抑制法(Inflation Reduction Act : IRA)」(2022年8月16日成立)、「半導体・科学法(CHIPS and Science Act)」(2022年8月9日成立)である。
IIJAは、全国50万カ所の電気自動車(EV)充電施設の整備、道路・橋・鉄道など老朽化したインフラの刷新、高速通信網・水道・電力網の整備等に5年間で5,500億ドル(新規支出分)を投資するものであり、インフラ整備と雇用拡大を図るものである。バイデン政権は、同法の一部である「ビルド・アメリカ、バイ・アメリカ法(Build America, Buy America Act:BABA)」によって製造業の雇用を国内に取り戻し、高賃金の雇用を創出したとしている。
IRAは、クリーン生産設備の導入、重要鉱物の調達、省エネ機器の購入等への補助金・税額控除などによって気候変動・エネルギー安全保障対策を推し進めるもので、10年間で3,690億ドルが割り当てられている。バイデン政権によれば、同法成立から1年間で企業が表明した投資額は1,100億ドルを超え、17万人超の雇用を創出したとされる。
「半導体・科学法」は、海外の半導体サプライチェーンへの米国の依存度を低下させ、先端半導体技術における米国の主導的地位の確立を目指し、半導体製造・研究開発支援のため、5年間で総額527億ドルを拠出するものである。バイデン政権によれば、同法成立から1年間で企業は1,660億ドルの投資を表明した。
3. 米国主導の同志国連携とIPEF
先述の演説(図表1)において、サリバン大統領補佐官は、過去数十年の国際経済政策の多くが、「経済統合が世界各国をより責任ある、より開放的な国とし、グローバルな秩序をより平和的で協調的なものとする、そして、ルールに基づく秩序に各国を取り込むことで、各国がそのルールを遵守する誘因を生む」という前提に基づいていたが、これは多くの場合、実現しなかったとし、その結果生まれた新たな地政学的・安全保障上の競争に適応するために、同志国連携が重要であると述べている。同時に、国際的な経済連携においては、関税削減を主な課題とした1990年代の貿易協定から転換し、我々が現在直面する課題に焦点を当てた現代的な経済連携へと移行しなければならないとした。
2023年5月に開催されたG7広島サミットでは、「首脳コミュニケ」ともに、「経済的強靭性及び経済安全保障に関するG7首脳声明」が発出された。ここでは、「我々は、透明性、多様性、安全性、持続可能性、信頼性が、G7内外の信頼できるパートナー国との間での強靱なサプライチェーンネットワークを構築及び強化するに当たり不可欠な原則であることを認識する」、「特に重要鉱物、半導体及び蓄電池などの重要物資について、世界中のパートナーシップを通じて、強靱なサプライチェーンを強化していく」ことが明記され、同志国連携による「フレンド・ショアリング」の構築を進めていくことがG7諸国の共通政策であることが確認された。
これを実現するインド太平洋地域における経済イニシアティブが「繫栄のためのインド太平洋経済枠組み(Indo-Pacific Economic Framework for Prosperity : IPEF)」である。バイデン政権はIPEFを「21世紀の経済的課題に対処するための21世紀型の経済的取り決め」と位置付け、これを推進してきた。IPEFは、「貿易」、「サプライチェーン」、「クリーン経済」、「公正な経済」を4つの柱とし、サプライチェーンの多様化・強靱化、クリーン・エネルギーへの移行、持続可能な経済成長、労働・環境の保護、デジタル経済への対応など、バイデン政権が「21世紀の経済的課題」と捉えている問題に取り組むものとなっている。インド太平洋地域の14カ国で2022年5月に立ち上げられ、同年9月より交渉が開始されたIPEFは、2023年11月にひとつの節目を迎えた。
閣僚会合、首脳会合も開催された2023年11月の交渉では、同年5月にすでに実質妥結に至っていた「サプライチェーン協定」に署名したほか、「クリーン経済」と「公正な経済」については交渉が実質妥結、残る「貿易」については継続交渉となった。合わせて、IPEF全体の運営に関する協定(「IPEF協定」)の交渉も実質的に妥結した(図表2)。
「貿易」交渉が積み残しとなったことは、IPEFの意義への疑問や交渉成果への失望を招いた。労働や環境、デジタル経済といった分野で、交渉に参加する先進国と新興国・途上国との間で、また、交渉を主導していた米国内で意見が収斂しておらず、合意には至らなかった。しかし、環太平洋パートナーシップ協定(TPP)からの離脱によってインド太平洋地域における米国の経済的リーダーシップが大きく損なわれていた中、米国主導で新たな経済枠組みが構築されたことは評価できる。
特に注目されるのは「サプライチェーン協定」である。閣僚会合後の報道発表(プレスステートメント)では、同協定は「サプライチェーンの途絶に対する危機対応能力を向上させ」、「サプライチェーンを強化するためのビジネスマッチング及び投資を円滑化し」、「重要分野及び重要物品のサプライチェーン強靭性を向上」させるものだとしている。
同協定は、サプライチェーンが混乱した緊急時における参加国間での情報や経験の共有、各国内での増産奨励や輸出の迅速化等による相互支援を規定しているのに加え、そうした事態に至る前に平時から重要分野・物品のサプライチェーンにおける潜在的な課題を特定し、行動計画の策定によって、供給源の多様化の促進、物流上のボトルネックの緩和、共同研究開発の円滑化、貿易上の障害の最小化・除去等を図ることを定めている(図表3)。
「クリーン経済協定」では、参加国のクリーン経済への移行のため、「クリーンエネルギー及び気候に優しい多様な技術に関する研究、開発、商用化」や、「高品質で、信頼性が高く、経済的に実行可能な電力網と小規模な電力網の地域における開発を支援」、それらのための投資や資金調達の促進・円滑化のための取り組みが合意された。また、同協定では、クリーンエネルギーのサプライチェーン強化のため、「重要鉱物・物資を含むクリーンエネルギー技術に不可欠な資源」の確保についても取り決められ、首脳声明では「IPEF重要鉱物対話」を立ち上げることも明らかにされた。新興国の脱炭素化を支援するため、日米豪などは投資や資金拠出の計画も公表している。すでに立ち上げられている「域内水素イニシアチブ」に加え、今後具体的な協力を進めていくための「協力作業プログラム(Cooperative Work Programs:CWP)」が策定される見込みとなっている。
国内総生産(GDP)で世界の約4割(約38兆ドル)、人口では3割強(約25億人)を占める14か国が参加するIPEFの下でのこうした取り組みは、参加国間の政策調整や協調がうまく機能し、実際に事業を行う企業がこれに積極的に参画すれば、サプライチェーンの強靱化やクリーン経済への移行に資するものとなるだろう。IPEFによって、同志国連携による「フレンド・ショアリング」の構築が進み、日本や参加各国の経済安全保障の強化につながることも期待できる。
4. 懸念される自国優先・保護主義的動き
バイデン政権が進める産業政策と同志国連携は、これらが両輪となって経済安全保障の強化を進めるものである。しかし、バイデン政権の産業政策には、自国優先・保護主義的要素が多分に含まれており、それが同志国連携の障害となっている。
現在、日本を含む主要国が挙って経済安全保障強化のための産業政策を進めているが、 「中間層のための外交」や「労働者中心の通商政策」を掲げ、国内産業育成・保護や雇用創出を特に重視しているバイデン政権では、経済安全保障の強化のための取り組みに自国優先・保護主義的施策・措置が導入される傾向が他国の同様の取り組みに比べて強くなっている。
そうした施策・措置の中で、同盟国・同志国から強い懸念が示されたのが、「インフレ抑制法(IRA)」における電気自動車(燃料電池車(FCV)含む。以下、EV)に関する税額控除措置(EV税額控除)である。同措置は、EVの新車購入に際し、最大7,500ドルの税額控除を認めるもので、EVの普及と脱炭素の促進を図るものであるが、その対象となるための要件が問題視され、自国優先・保護主義的措置として米国内外から批判を浴びた。
EV税額控除の対象となるためには大きく3つの要件、すなわち、①EVの最終組立が北米地域(米墨加)で行われていなければならない(最終組立要件)、②バッテリーに含まれる指定重要鉱物のうち、(1)(a)米国内、もしくは(b)米国と自由貿易協定(FTA)が発効している国(FTA発効国)、で抽出・加工されたもの、あるいは、(2)北米でリサイクルされたもの、の割合が一定以上でなければならない(重要鉱物要件)、③バッテリー構成部材のうち、北米で製造または組み立てられた割合が一定割合以上でなければならない(バッテリー部材要件)という要件を満たさなければならない。②重要鉱物要件と③バッテリー部材要件を満たすことで、それぞれ3,750ドルの税額控除が認められる。ただし、懸念外国企業(中国企業等)がその製造過程に関与している場合は除外される(②は2025年1月1日、③は2024年1月1日以降)(図表4)。
これらの要件は、北米地域でのEV生産を促すものとなっている半面、その要件が厳しすぎるため、対象となるEVが限定され、EV普及に役立たないとの声が米国産業界からも上がった。また、米国の同盟国・同志国もその修正を求めた。
日本は、同措置は、「北米地域やFTA締結国といった、米国の同盟国である日本を排除した特定地域内での調達・加工・製造・組立要件を課しており、有志国との連携の下で強靱なサプライチェーンを目指す全体戦略と整合的ではない」と明確に指摘し、「同盟国たる日本メーカーが製造するEVも同等に税額控除を受けることができるよう運用すること」を求めた。
2023年3月28日に締結され、即時発効した「日米重要鉱物サプライチェーン強化協定」(日米CMA)は、IRAの規定を守りつつ、同盟国・日本の要求に応えるバイデン政権の苦肉の策である。同協定は、日米貿易協定(2020年1月1日発効)を基盤として、重要鉱物(コバルト、グラファイト、リチウム、マンガン、ニッケル)の日米間のサプライチェーンを強化し、環境・労働に配慮した「持続可能かつ衡平な方法により重要鉱物を調達すること」等を目的としたものである。バイデン政権は、IRAの修正も、新たなFTAの締結も、政治的に困難な状況下で、日米CMAをIRA上の「FTA」とみなすことによって、「米国とともにサプライチェーン強靱化に取り組んでいる日本を始め同盟国が米国やFTA締結国と比して不利でない待遇を与えられるべき」という日本の要求に応えた。EUやインドネシア等が同様の対応を米国に求めているが、議会からはこの政権の対応に不満の声も上がっている。
5. 産業政策・同志国連携で生まれるビジネス・チャンス
バイデン政権が進める産業政策では、連邦政府主導で多額の投資や補助金の供与、税額控除が行われる。また、IPEFに代表される同志国連携による「フレンド・ショアリング」の構築は、サプライチェーンの再編を促し、多くの投資プロジェクトを創出する。これらには、自国優先・保護主義的動きのようなリスクもあるが、同時に新たなビジネス・チャンスも生み出す。
すでに、米国内で生産しているEV向け電池を対象にIRAに基づく補助金を供与された日本企業もある。複数の日本企業が半導体・科学法に基づく補助金申請に向けて準備を進めていると言われている。
日本貿易振興機構(ジェトロ)のアンケート調査(「2023年度海外進出日系企業実態調査・米国編」)によれば、在米日系企業には、米国の産業政策や通商・経済安全保障政策を自社事業にプラスの影響があると捉えている企業が少なくない(図表5)。
今後は、IPEFの下での協力の具体化が進み、投資プロジェクトも立ち上がっていくとみられる。日本企業にとっては、リスクに備えるだけでなく、こうしたビジネス・チャンスをしっかりと捉えていくことが重要となる。
株式会社オウルズコンサルティンググループ
プリンシパル(通商・経済安全保障担当)
菅原 淳一
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