ビジネスにおける人権尊重の取り組みについて議論する最大規模の国際会議である「国連ビジネスと人権フォーラム」が2023年11月27日~29日にかけてジュネーブで開催された。本フォーラムは、国連「ビジネスと人権に関する指導原則」(以下、指導原則と記載)が採択された2011年以降、国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)を主催として毎年開催されている。
今年は世界人権宣言の採択から75周年となる節目の年にあたる。第12回目である今年のテーマは「義務、責任、救済措置の実践における効果的な変革(Towards effective change in implementing obligations, responsibilities and remedies)」とされ、指導原則の採択以降の「ビジネスと人権」分野における実践の方向性と今後の期待について、合計39個のセッションが開催された。参加人数は現地参加とオンライン合わせて約4000人(昨年比1.6倍)となり、ビジネスセクターとソーシャルセクターからの参加者がそれぞれ30%を占めた。
※2023年12月25日付のJBpressの記事を一部変更して掲載しています。
「指導原則」の先にある、ライツホルダーを中心に据えた人権対応
2023年も激動の一年であったが、本フォーラムでは、世界が現在直面する課題に対して「ビジネスと人権」の側面から多角的な議論がなされた。
初日の開会セッションでは、ヴォルカ―・ターク国連人権高等弁務官が、現在世界中で起きている紛争、気候危機、AIを含むデジタル技術の革新による人権への影響について強調し、より多くの企業や市民団体の対応が不可欠だとした。また、今年8月に調査団として訪日した国連「ビジネスと人権に関する作業部会」のダミロラ・オラウィ議長は、指導原則に基づいた実践の重要性を述べた。「ビジネスと人権」への対応が形骸化してはならないという意図だ。
フォーラム全体を通じて、指導原則は「目指すべき天井」ではなく、すべての取り組みの「ベースライン」であるという点が繰り返し伝えられ、権利保持者(ライツホルダー)を中心に据えた企業のステークホルダーエンゲージメントの重要性が強調された。ステークホルダーエンゲージメントとは、サービスやプロダクトを通して企業の活動に関わる利害関係者の意見や関心事を自社のガバナンスや意思決定に反映させるプロセスのことで、近年、大きく注目を集めている。また、全体的にグローバルサウスのライツホルダーや有識者のスピーカーも目立ち、多国籍企業の人権への取り組みに先住民を含む「グローバルサウスの視点」を効果的に含めるための議論がなされた点も特徴に挙げられる。
「環境」問題は「人権」問題という世界の共通認識
今回の最注目のアジェンダは、気候変動により引き起こされる人権リスクといっても過言ではないだろう。関連するセッションは6つ開催された。
気象災害による人々の生活への悪影響の深刻さが増す近年、「気候変動への対策を怠ることは人権に深刻な影響が及ぼす」という考え方はもはや通説となっている。UNDPは、2020年に「安全を脅かされた」ために移住を余儀なくされた4050万のうち約7割が気象災害(荒天、洪水、山火事等)により移住を強いられたと報告したが、その多くは途上国等の貧困層である。世界の1割に満たない富裕層が温室効果ガスの半分以上を排出しているにも関わらず、排出量の少ない貧困層がその生活に欠かせない食糧や住居に被害を受けているという不平等な構造は、国際的な人権問題となっているのだ。
このような状況において、昨年7月、国連総会で「クリーンで健康、かつ持続可能な環境へのアクセスは普遍的人権である」と宣言した決議が初めて採択された。「アフリカのCOP」と呼ばれたCOP27でも、気候変動に脆弱な国が被る気候変動リスクに注目が集まり、損失と損害(ロス&ダメージ)が大きなテーマとなった。今年開催のCOP28では、初日に損失と損害の基金の運用に関する議案が採択されたことは注目に値する。今回のフォーラムで気候変動に関連して引き起こされる人権リスクに注目が集まったのも、このような背景によるものだろう。
現地では、「クリーンで健康、かつ持続可能な環境へのアクセスの権利」を全ての人が享受できるようになるためには、企業によるステークホルダーエンゲージメントと救済へのアクセスの確保が不可欠であると、複数の有識者が議論を行った。例えば、UNDPのリビオ・サランドレア氏は、「環境への影響は国境により区切ることができないため、国境によって制限されない形で、企業はライツホルダーとのエンゲージメントを実施することが重要である」と語った。また、効果的な救済メカニズムが機能するためには、国家の司法レベルでの苦情処理メカニズムと企業による取り組みの必要性も強調された。
世界最大の洋上風力事業者が直面する環境と人権の両立
気候正義の文脈において、再生可能エネルギーへの移行に伴う人権リスクと「公正な移行(Just Transition)」に焦点があてられた。
再生可能エネルギー技術には銅、コバルト、ニッケル、リチウムなどの鉱物が不可欠だが、その採掘の現場では劣悪な環境下での強制労働や児童労働、採掘現場の周辺地域の汚染による地域住民の健康への悪影響など、様々な人権リスクが指摘されている。「環境立てれば人権立たず」の状況を防ぐために、企業が気候変動対策として実施する環境デューディリジェンスに人権の観点を組み込む必要性が説かれた。
世界最大の洋上風力発電事業者オーステッドが公正な移行に関するセッションに登壇したことは注目に値する。
再生可能エネルギーで世界をリードするオーステッドであるが、そのバリューチェーンにおける人権侵害の可能性についての議論がなされたのだ。洋上風力技術においてニッケルは不可欠な原材料となっているが、埋蔵量や生産量は途上国に偏在している。その中でもインドネシアは世界の埋蔵量のうち2割、生産量では半数近くを占めるニッケル大国であり、採掘の過程で、先住民コミュニティの破壊などの深刻な人権侵害が発生しているとの主張がライツホルダーの代表者から語られた。
オーステッド自身はインドネシアでニッケルを直接採掘しているわけではない。しかし、サプライチェーンに連なる人権リスクとして認識し、鉱物採掘会社と連携した対応が必要であるということは、オーステッド及びライツホルダー当事者団体の共通見解であった。
指導原則は、自社が直接的に引き起こす人権問題のみならず、サプライチェーンで間接的に起こる人権問題への対応を求めている。まさに、オーステッドの事例は、気候変動対応が引き起こす人権リスクに係るものであり、「環境立てれば人権立たず」にどう対応するかを問いかけるものであった。
急速な生成AIの発展がもたらす人権リスク
気候変動と同様にフォーラムで注目されたのは、AI技術がもたらす人権リスクだ。
Chat GPTが急速に広まった今年、生成AIの革新的な発展による様々な人権リスクが指摘されている。
例えば、偏重したデータセットに基づいてAIが下した判断が人種や性別による差別を助長してしまうリスク(歴史的な社会バイアスに起因するケースが多い)や、AI開発時のインプットデータを取得する際に個人のプライバシーを侵害するリスクなどだ。一方、AIに対する包括的なガバナンスの枠組の議論も急ピッチで進められている。G7各国が「広島AIプロセス」で生成AIの活用・規制に関する共通ルールの作成を目指している他、欧州ではAIの用途やリスクに応じた管理等を罰則付きで義務化する「欧州AI規則案」の策定が進められている。
本フォーラムでも、生成AIによる差別やプライバシー侵害等の人権リスクの危険性について、複数のセッションで議論された。特にAI開発時点のデータインプットが一部の欧米諸国の言語に偏っていることで、欧米諸国の価値観に従った政治的・社会的なバイアスが強化され、デジタルプラットフォーム上でグローバルサウスがより脆弱な立場に置かれるリスクが指摘されたことは注目に値する。
グーグルの人権グローバルヘッドのアレクサンドリア・ウォルデン氏は、AI開発者・技術提供者の立場から、AI技術の管理方針である「Google AI Principles」を紹介。技術開発の前提に人権尊重を置き、人権デューディリジェンスを継続的に行う重要性を強調した。また、今後業界全体で指導原則に基づいたAIの開発、提供を実現するために、政府や国連等による企業責任の明確化や管理ガイドラインの策定を求めた。
テクノロジー業界に特化したOHCHRのチームであるB-Tech Projectは、生成AIに対するガバナンスの枠組の検討が複数同時並行で進んでいることを評価する一方で、その多くが指導原則に基づく人権の観点が欠けている点について警鐘を鳴らした。そのうえで、このフォーラムに合わせての生成AIの開発、展開、利用に関連する人権リスクのタクソノミー(分類法)の案を発表した。
タクソノミーは、生成AIのバリューチェーンにおいて、「誰により、誰の、どのような権利が侵害される可能性があるか」について整理する。今後この分類を精緻化することで、企業が生成AIによる人権リスクを網羅的に把握し、人権デューディリジェンスを実行しやすくなることが期待されている。一方で、参加者からは人権に関するこのような分類法やフレームワークが乱立していることに対する指摘もあり、企業による実践が現実的となるようフレームワークの一貫性を担保するよう求める声が上がった。
各国のAIに対する法整備や規制強化の潮流に対して、AI開発者から「イノベーションを阻害する」との懸念が出ている点についても触れられたが、AI技術のバリューチェーン全体に対する「責任あるイノベーション」が前提となるべきである、とのメッセージも示された。コントロールできない早さでAI技術が発展する中、本フォーラムでは改めて人権尊重を主軸に置いた規制の重要性が強調された形だ。
フォーカスがあてられた日本の外国人技能実習生制度
フォーラムでは、移民労働者に関するセッションも複数実施された。
一般的に脆弱な立場に置かれる移民労働者は、就労先で劣悪な環境での長時間労働や強制的な労働を課されてしまうリスクある他、入国までの手数料等の負担を強いられ、借金から抜け出せなくなる例も見られる。この文脈で、日本に関しては、外国人技能実習生制度の課題にフォーカスがあてられた。
外国人技能実習制度に対しては長年人権侵害のリスクが指摘されてきたが、今年に入り政府は新制度の素案を作成し、一定の要件を満たした場合に転籍を可能とすることや送出機関等への手数料の一部を受入企業の負担をすることなどが検討されている。直近では、制度の名称を「育成就労制度」とする政府の有識者会議による最終報告書が11月下旬に発表された。
フォーラムではこれらの政府の最新の検討状況に関しては触れられず、現行の技能実習制度が抱えるリスクの指摘に留まった。また、日本企業の取り組み事例として、ANAによる人権デューディリジェンスの一環で実施された外国人技能実習生とのステークホルダーエンゲージメントが紹介された。
全体を通じて、ステークホルダーエンゲージメントを通じたサプライチェーンのより上流で発生しうる移民労働者の搾取の実態把握や、移民労働者がアクセス可能な言語や手段での救済メカニズム設置が企業に求められており、日本企業も例外ではない。
ビジネスにおける本質的な人権尊重とは
今年は、「ビジネスと人権」のキーワードが日本メディアでも多く取り上げられた一年となり、ビジネス界でも注目度は高まっているが、日本企業はどのように人権対応に向き合うべきであろうか。
欧州では、企業による人権デューディリジェンスを義務化する「欧州企業持続可能性デューディリジェンス(CSDD)指令」の策定に向けた議論も進み、ビジネスセクターが「人権」をないがしろにすることは最早不可能になってきている。企業の人権に対する取り組みへの要求が法規制によって一層強化されていく中、グローバルに展開する日本企業にも影響が出ることは明らかである。
このように、ルールへの対応の必要性から取り組みを始めることも一案だろう。一方で、指導原則に立ち返れば、本来の企業の責任は法規制への対応に留まらない。自社による直接的な人権侵害や、間接的に助長あるいは関与している人権侵害への対応、そして人権侵害に直面する当事者を救済する責任があるのだ。
その点では、本フォーラムの中でネスレが「法規制による自社の人権尊重の取り組みへの影響」を問われた際の回答が興味深い。「我々は法規制が入る前から児童労働等の人権問題に対応し、救済策も講じていた。法規制が策定されたからといって、我々が人権対応で行うべきことは変わらない」日本企業も、法規制への後追いでなく、指導原則に則った主体的な人権対応が求められるはずだ。
株式会社オウルズコンサルティンググループ
コンサルタント
玉井 仁和子
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