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REPORTS レポート
2023年11月9日

アフガンで働く日本人・国連職員に聞く、 国連でキャリアを作るということ(2023年11月 JBpress掲載)

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国連とはどのような組織で、どのような形で世界に影響を与えているのか。戦争を止めることのできない国連に存在意義はあるのか。日本は国連にどのように関わるべきなのか──。知っているようであまり知らない、外からは見えにくい国連という組織について、外務省やシンクタンク、国連職員など様々な立場から外交に関わってきた水田愼一氏と、官民のルール形成や人権・サステナビリティの分野で独自のポジションを築いているオウルズコンサルティンググループ代表取締役CEO 羽生田慶介が語り合う対談の第4回。

※2023年11月1日付のJBpressの記事を一部変更して掲載しています。
※肩書は本対談を実施した2023年8月時点。水田氏は外務省、シンクタンクに勤務した後、2011年から2020年まで国連職員としてアフガニスタン、ソマリア、リベリアに勤務。2020年から2023年7月までニューヨークの国連日本政府代表部勤務。2023年9月から再び国連職員としてアフガニスタンで勤務。

日本人のグローバル志向は落ちている?

羽生田:

今回は国連の話から少し離れて、水田さんのキャリア観や日本人の海外志向についてお聞きできればと思います。

水田:

はい。

羽生田:

かつての日本人には、国際人としてグローバルなフィールドで働くことに対する、一種の憧れがあったように思います。それに対して、今は国際的なキャリアに対する志向が弱くなっているように感じます。その点について、水田さんはどのように感じていますか。

水田:

政府が出している統計によると、コロナ前までは、単位を伴う長期留学で海外の高等教育機関に行く日本人の数は減少していましたが、一方で海外で勉強する若者は増えていたそうです。これが何を意味しているのかというと、短期で留学する人は増えていたけれど、しっかりと腰を据えて勉強する人、もっと言うと、外国の大学院に行って修士号・博士号を取るなど海外で学歴を積み、その水準で国際的な競争に参加しようとする日本人が圧倒的に減っていたということです。国内の研究環境は明らかに悪化しています。それでいて、海外で博士号を取る人も減っている。これは、技術力の低下という側面だけでなく、国際水準で学んだ物事を日本に持ち込める人が減っていくということです。そこに危機感を感じています。

羽生田:

80年代などは、企業留学も多い時代でしたよね。けれど、教育を受けさせた人たちが退社してみんな外資系企業に行ってしまうから、今は企業留学自体も少なくなっています。

水田:

理系の研究者の場合、海外に留学し、ポスドク(任期付きの研究職ポジション)に就くと、なかなか日本に帰ってくることはないと思います。日本は給料が安いうえに研究環境も悪く、海外と同水準の研究ができませんから。そうなると、「日本に帰ってこない人にカネをかけて留学させるのか」という議論になるので、海外で学んだ人が日本に帰ってきたいと思えるように日本でも海外と同水準の研究ができるような環境を整えるべきなのですが、そのためのお金が国にない。今年の春、理化学研究所で10年を超える有期雇用を認めない「10年ルール」のために、雇い止めにあう研究者が続出したという話がありましたよね。あのようなことをやっていると、日本の研究水準が奈落の底に落ちていくのではないでしょうか。こうした負の連鎖はさまざまな面で起きています。国際的に活躍する人材が減少しているという課題については、しっかりと向き合っていく必要があると感じています。

羽生田:

国連ではどうでしょうか。日本人の職員は減少傾向にありますか?

国連でのキャリア形成が難しいのはなぜか?

水田:

日本人の職員はあまり増えていません。でも、これは国連側の環境にも問題があります。人事制度はボロボロだし、キャリアパスも不明確。独学でいろいろと勉強しなければならないのに、変なところで競争やコネが激しい。とにかく有象無象の世界ですから。僕もニューヨークの国連日本政府代表部での仕事が終わった後、国連の仕事に戻りたいと思っていましたが、国連でのキャリアを続けるのも簡単なことではないんですよね。僕の場合、コンサル経験があるのでコンサルの仕事をすることも、開発援助の専門家として働くことも恐らくできると思います。博士号も取得しているので、大学で働くこともできるかもしれない。そんなふうに、どこかでつぶしは利くだろうとは思っていますが、あきらめずに国連職員に戻ることを考えて、今のポジションに応募しました。結果、今のアフガニスタンでのポストを手に入れましたが、国連の中でキャリアを続けるのは簡単ではない。一方で、国連にも人事改革をしようという動きもありますので、よくなればいいなと思いつつ、すごく大変な場所だということを覚悟して入ってくれる方がいればいいなと思います。

羽生田:

9月からは国連職員として、紛争地であるアフガニスタンでのミッションに参加されると伺いました。アフガニスタン支援ミッションでは、具体的にはどのようなことをするのでしょうか。

国連アフガン支援ミッションの任務

水田:

以前の国連アフガニスタン支援ミッションの任務は、民主化促進のための選挙の実現の支援と、和平プロセスの支援の二つでした。前者では、選挙に先立って政府要人に野党との対話を促したり、選挙のルールをどのように作っていくかという点を政治的な側面から働きかけたりということをしていました。後者の和平プロセスはトランプ政権の頃の話で、トランプ政権とタリバンとの間で交渉が進む中、米国以外の国際社会の国々や当時のアフガニスタン政府、市民社会などが全体のプロセスに関与できるように努力していました。アメリカはタリバンに対して、テロ対策の実行などいろいろな条件をつけて交渉していましたが、両者の議論が活発化すると、アメリカとしても幅広い関係当事者と十分なコミュニケーションを取ることが労力的にも時間的にも難しくなってくる。そういう中で、国連が関与して幅広い議論の場を調整する、あるいは具体的な国名は出せないので想像して欲しいのですが、アフガニスタンの重要な隣国だけど、アメリカが直接対話するのが難しい国とコミュニケーションの機会を提供するというのも重要な仕事でした。国連は、戦争当事者間やお互いに国交がない国であっても、いずれも加盟国であれば一緒に議論する場所を提供することができます。

羽生田:

国際軍がいた当時と状況は変わっていると思いますが、今回はどんな任務を負っているのでしょうか。

水田:

一番重要だなと思っているのは、タリバンと国際社会の架け橋を作ることです。今はお互いに譲り合えない状況になっています。タリバンには、国際社会の圧力に屈して彼らの政策を変えるという考えはありません。国際社会は「女子教育を再開しなければ経済援助は増やさないぞ」というような力押しのアプローチを取っていますが、それではもう動かない。その膠着を崩すために、お互いに歩み寄れるような状況を作る必要がある。もう一つは、世界の分断が深まる中、アフガニスタンを国際協調のモデルにすること。西側とロシア、そして中国との分断が深まっていますが、アフガンはこういった国々が共通の関心として協力し合える稀な議題だと感じています。アフガンに対しては、古くはイギリスが、過去40年間ではロシアもアメリカも戦争に勝てませんでした。国境を接している中国もアフガンの不安定化は避けたいはずです。アフガンの不安定化が利益にならないという面で、それぞれの国の利害が一致しているんです。その中で、タリバン政権との関係を築き、いい方向に持って行ければ、平和問題に関与する国連の新しいモデルをつくり出せるかもしれません。

外務省を辞めたきっかけ

羽生田:

そこに関われる仕事って、ほとんどありませんよね。水田さんのキャリアですが、新卒で入られた外務省を退職された後、コンサルを経て国連に“転職”されました。どうして外務省をやめたのでしょうか。

水田:

外務省をやめた直接のきっかけは不祥事です。外務省で大きな不祥事があり、その内部調査チームに配属されました。このときに、いろいろな事実が明らかになったのですが、組織の自浄作用や責任能力が欠如している状況を目の当たりにして、一度、官僚組織を出てみようと思ったんです。外務省での仕事はとてもやりがいのあるものでしたが、中長期的に見て、そこでのキャリア形成が自分のしたいことではないなと気づいたことも大きかったです。日本外交はどうしてもアメリカ重視の部分があります。例えば、ニューヨークで仕事をしていた時、国連での投票の際に東京に問い合わせると、「G7(注)と足並みを揃えて」と言われることが多かった。でも、それって明らかに時代遅れだと感じます。
1990年前後はG7が世界のGDPの約7割を占めていましたが、今では約4割まで低下しています。ニューヨークで働いていた時に、G7諸国の国連大使の中でも、「G7で連携するのはいいけれど、G7で共通の立場を打ち出すのはやめた方がいい」と言っている人たちがいました。また、とある国連高官は、世界の中でG7は単なる金持ちクラブとしか思われておらず、そこでの意思決定は反発を招くだけだ。BRICSをはじめ世界では多様なグループが生まれており、日本はもっと重視すべきだ──と指摘していました。その通りだと思います。僕自身、留学先はアメリカでしたし、1年目の配属先も北米第一課というアメリカとの政治関係を主に扱う課でした。そのまま外務省に残れば、日米安全保障などアメリカに関わる仕事をしていたと思います。国連でアフリカでの平和活動に関わったり、アフガンに行ったりするようなことはなかったでしょう。でも、僕はそこまで日米の仕事がしたいわけではなかったので、外に出て別の仕事をしようと思いました。結果、やめたのが正解だったと思います。

紛争地で働くということ

羽生田:

国連で働いていた人は私のまわりにもいますが、一度退職したのに、また国連に戻るという話はあまり聞いたことがありません。水田さんもお話しされているように、国連は任務もハードで、キャリアも描きにくい職場ですが、なぜ戻ろうと考えたのでしょうか。

水田:

やはり、現場に出たいという思いですね。国連で働くことになったのも、紛争研究をテーマにした博士論文を書いた後、実際に紛争地に行って状況を見たいという衝動に駆られたから。自分を使った人体実験(笑)。紛争地に行くことが実地調査で、それが自分には興味のある分野だったんです。紛争地帯は危険なので、普通の人だと行くこと自体を周りから止められると思います。でも、私は国連職員という肩書があるから行かせてもらえる。仕事はもちろん大変ですが、国連に所属しているから自分のやりたいことを貫けているという点は大きい。そんな思いもあって、今回国連に戻ることを決めました。これから国連を目指す方も、そうでない方も、仕事というのは自分が一番やりたいことをやるのがいいと思います。やりたくも、楽しくもないのに国連職員になったとしても、たぶん本人も周囲も納得がいかなくなるでしょうから。

(注)G7:「Group of Seven」の略称で、フランス・アメリカ・イギリス・ドイツ・日本・イタリア・カナダの7か国を指す

株式会社オウルズコンサルティンググループ
代表取締役CEO
羽生田 慶介

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