安保理改革の実現は困難も、常任理事国の 拒否権行使に制限をかけることは可能(2023年9月 JBpress掲載)
アフガニスタンにおけるタリバン政権の復権やニジェールの軍事クーデター、そして泥沼化するロシアによるウクライナ侵攻。日々様相を変える国際社会は、常に課題を抱える火薬庫のようなものだ。その中で、混沌とした国際社会の調整を図るべく、今日も様々な議論が交わされている場がある。国際連合、すなわち国連である。国連とはどのような組織で、どのような形で世界に影響を与えているのか。戦争を止めることのできない国連に存在意義はあるのか。日本は国連にどのように関わるべきなのか──。
知っているようであまり知らない、外からは見えにくい国連という組織について、外務省やシンクタンク、国連職員など様々な立場から国連に関わってきた水田愼一氏と、官民のルール形成や人権・サステナビリティの分野で独自のポジションを築いている弊社代表取締役CEO 羽生田慶介が語り合う対談の第2回。
※2023年9月22日付のJBpressの記事を一部変更して掲載しています。
※肩書は本対談を実施した2023年8月時点。水田氏は外務省、シンクタンクに勤務した後、2011年から2020年まで国連職員としてアフガニスタン、ソマリア、リベリアに勤務。2020年から2023年7月までニューヨークの国連日本政府代表部勤務。2023年9月から再び国連職員としてアフガニスタンで勤務。
羽生田:
前回の記事で国際公共財について言及されていました。自国の公共投資などでも経済合理性が問われる時代ですが、国連のプロジェクトに経済合理性を問うべきなのでしょうか。
水田:
どの視点で経済合理性を考えるかによって回答は変わりますが、世界の経済活動の主体である資本主義を突き詰めた結果、大きな格差ができてしまったわけですよね。富める者ばかりが富み、他はみんな貧しいまま。そのような世界が、果たして合理的なのか。拡大する貧富の差や環境問題など山積する目の前の課題を考えることも重要ですが、根本的な話として、どうすれば人類が地球と共存できるのかがわからない中で私たちはもがいているわけですよね。
その中で、新しいビジョンをつくり、推し進めていかなければならない。こういう取り組みは、短期的に見れば経済合理性がないのかもしれませんが、長期で見れば、人類にとって大きなメリットがある。これをどう考えるか。また、これまでは資本主義の中、民間がドライバーとなって経済成長を果たしてきました。でも、現在私たちが抱える格差の問題などをみると、民間だけで合理的な仕組みを提供できているのかといえば、決してそうではありません。もう一方の官だけでもうまくいかないということを考えれば、官と民を分けることなく、新しいビジョンを打ちだしていく必要がある。その時に、主導的な役割を果たす機関はやっぱり国連だろう、と。
羽生田:
ご指摘の通り、1年間という期間の中で経済合理性を問う場合もありますし、「米百俵の精神」のように、20年、30年のスパンで考えて合理的という場合もある。国連はそのような長期のスパンで解決しなければならないこと、官でも民でも解決できないようなことに取り組むというところに存在意義がある、と。
水田:
そうです。日本は国連の分担金で3番目なので、新しいビジョンを考えるうえで主導的な役割を果たさなければならないと思うのですが、日本政府はこういうことは苦手ですよね。日本人が苦手だとは思わないけれど、少なくとも日本政府は苦手だと感じます。
国連が提供しているもう一つの機能
羽生田:
もう一つお聞きすると、国連の中で法的拘束力がある決議は安保理決議ですが、国連児童基金(UNICEF)などの個別機関などを含め、さまざまな機関でルールを制定しています。ルール形成の場としての国連についてはどう考えればいいでしょうか。
水田:
国連はヌエだとかキメラだとか言われますが、中心には総会があり、安保理や経済社会理事会などの主要機関が設置されています。それに加えて、専門機関として、UNICEFや国連開発計画(UNDP)、国連職業農業機関(FAO)などの個別機関がある。これが国連の全体像です。その中で、個別機関の中でルールを形成する仕組みがあるわけですが、そのプロセスは次のようなものです。例えば、漁業関連の国際ルールであれば、FAO傘下の委員会に議論の場をつくり、そこである程度議論を深めたうえで議論をオープンにし、各国に参加を呼びかける。
こういうものが、さまざまな個別機関の中にたくさんある。それが最終的に条約に発展することもある。SDGsも、開発援助につながる話だったので、もともとは経済社会理事会で議論されていました。その後、議論が進み、最終的に国連総会で決議された。SDGsは国連総会で決議されたこともあって、規範的にみんなで取り組んでいこうという流れになっていますが、国連総会決議に法的拘束力はありません。守らなくても罰則があるわけではない。
このように、安保理を除けば国連機関による決議やその他のルールは基本的に法的拘束力がありません。そう言うと、「法的拘束力のない決議に何の意味があるのか」という批判の声も上がるかもしれませんが、国連には議論の出発点を提供しているという側面があります。国連は、国連そのものにしても個別の機関にしても、たくさんの国が参加しています。それゆえに、新しいことを議論する場として最適です。初めは関心のある国同士の議論かもしれませんが、ある時点で議論をオープンにして、より多くの国を巻き込んでいく。そういう最初の議論のプラットフォームを提供しているという点は、国連の重要な機能の一つです。
羽生田:
確かに。多くの人は国連という世界政府のようなものがあり、そこでいろいろなことを決めているように感じていますが、なにかを決めるような場ではなく、さまざまなアジェンダを話し合う最初のプラットフォームなのだ、と。
水田:
そういう理解が国連の実態に近いと思います。
安保理で感謝された日本の地味な貢献
羽生田:
国連の存在意義や捉え方についてお聞きしましたが、もう一つ、国連改革というテーマがあると思います。国連の中にいた水田さんの目から見て、国連改革の現状についてお聞かせいただけますか。
水田:
国連改革は難しいですね。日本人の目から見て真っ先に思い浮かぶのは安保理改革だと思いますが、正直、実現は難しいと感じています。第二次大戦が終わった後、アメリカ合衆国、イギリス、フランス、ソビエト連邦、中華民国などの連合国(the united nations)が中心となって国連を作った時に、安保理の常任理事国に過大な権限を与えてしまったということがすべての始まりです。安保理の構成を変えるにも、常任理事国すべての同意が必要になるので、なかなか変わるとは考えられない。日本と利害が対立する関係にある国が常任理事国の中に存在するわけですから。
そう考えると、安保理改革が進む可能性は極めて低いと思う。ただ、そんな話をした後に言うと矛盾するのですが、国連をよくしていくために、できるところから変えていく努力は必要だと思います。仮に安保理改革が進まないのであれば、それ以外のところを変えていく。ほかの国はそう考えて動いています。日本も当然そうするべきです。ものすごく地味な話ですが、日本には、2000年代に安保理の中で散逸していた様々なルールを整理して一つの文書としてまとめたという実績があります。安保理に入った国が手続きを進めていくために参照するルールブックです。安保理には、元からある手続きに加えて、安保理が運用の中で加えていったルールがたくさんある。それがバラバラに作られてきたため、同じようルールがまたつくられるなど、わけのわからない状態になっていました。
その状況を改善するため、日本政府が安保理に入った時に、手続きに関する作業部会の議長としてぐちゃぐちゃになっていたルールを整理してまとめたんです。これは今でもみんなに感謝されています。
こういったルールの中には暗黙とされるものもたくさんあり、実はそれが5大理事国の権力の源泉でもありました。常任理事国は明示的なもの、暗黙のものを含めてルールに関する制度的、個人的な記憶があるので、「ルールの使い方」についての知識の積み重ねがあるんです。そのやり方一つで国連決議が否決されたり、内容が修正されたりということがしばしば起こる。
僕もこの数年で、何度かそういう場面を目撃しました。最近はウクライナ関係ですよね。今もこうしたことが起きていますが、ルールブックをつくらなければ、国連の使い方を熟知している国々により一層有利な状況になっていたと思います。ルールブックの話は細かな話ですが、変えられるところから変えていくことはとても重要です。
羽生田:
拒否権についてはどうでしょうか。ウクライナ戦争が典型ですが、常任理事国が対立している状況では、安保理で決議が通ることはまず考えられません。
ルールが明確でない国際社会で重要なこと
水田:
拒否権をなくすということは現実的に考えられませんが、拒否権を自主的に使わないようにするための動きは始まっています。事実、2022年にリヒテンシュタインが拒否権を行使した常任理事国に対して説明責任を求める決議を国連総会に出し、採択されました。法的拘束力があるわけではないので、拒否権の行使を止めるものではありませんが、少なくとも抑止力にはなる。
このように、安保理が動かないのであれば、国連総会の場で動くということは可能です。日本人はしっかりとルールが整った環境の中で生きているので、白黒ははっきりしないと意味がないと思いがちですが、そもそもルールが明確ではない国際社会においてはメッセージや価値観を多数派として打ちだしていくことが重要です。日本からは見えにくいかもしれませんが、国連ではいろいろなことが動いているし、できることはたくさんある。
羽生田:
なるほど。安保理改革は難しいとしても、国連総会を活用した次善の策もあるということですね。私たちもルール形成の分野で戦っているので関心があるのですが、国際社会のルール形成で日本が貢献しようとする場合、どの省庁が対応するのでしょうか。外務省が頑張ればいいのでしょうか。
水田:
外務省だけでは不十分だと思います。もちろん、外務省が参加しているような国際機関もありますが、各省庁が参画している国際機関や国際条約はたくさんあります。そういう意味では、日本政府として取り組んでいく必要がありますが、それぞれがサイロ化されているので全体像が見えにくい。あとは、お金の出し方という問題もあります。その内訳を正確に理解しているわけではありませんが、国際機関に対する日本政府の拠出金は各省に分散しています。広く浅くいろいろなところにばらまかれている。その中で、戦略的に取捨選択しましょうと言っても、外務省だけでは対応できません。
羽生田:
まさにポートフォリオの概念ですね。岸田首相は外務大臣を長くされたこともあって、アフリカなど途上国に対する支援にも積極的ですが、それに対して、海外に出すお金があればもっと国内に振り向けるべきではないかという批判もあります。こういう批判についてはどうですか?
「日本は足の短い足長おじさんになっている」
水田:
海外に振り向けているお金は無駄だから削るべきだという意見は、もちろんあると思います。ただ、対内的にも対外的にも、説明が足りていないという側面があるように感じています。例えば、国際機関に対する拠出金について、「世界は今こういう状況にあり、こういう課題を解決するために、この機関にこれだけの金額を拠出している」ということをきちんと説明すれば、理解してくれる方も増えるのではないでしょうか。
羽生田:
他の加盟国は、そういった説明責任を果たしているのでしょうか。
水田:
どうでしょう。ただ、国連加盟193カ国の中で、説明責任が求められる民主主義国家は少数派なんですよね。独裁国家の場合、国連にどれだけお金を出すのかという判断は大統領や国王等のさじ加減一つです。ただ、北欧諸国などは明確で、平和や人権といった分野に戦略的に資金を振り向けているように感じます。国の経済規模が小さいため、戦略的に出していかなければならないという事情もありますが、広く、浅くではない。アメリカも議会が説明を求めるので、説明責任を果たしている部分が大きいように思います。
羽生田:
日本も、広く浅くばらまくのではなく、ビジョンに基づいて、戦略的にお金を出していく必要がありますね。
水田:
お世話になった外務省の上司が、日本の国際支援について面白いことを言っていました。「日本はグローバルで見て、足の短い足長おじさんになっている」と。まさに、その通りだと思います。多くの国でいろいろなことをやっていますが、その金額が少なく、戦略が見えない。そういう状況を変えるには、外務省だけでは難しい。そこは政治の役割だと思います。
羽生田:
「足の短い足長おじさん」という表現は言い得て妙ですが、これって日本そのものですよね。産業界を見ても、今でこそ「選択と集中」は進みましたが、日本の電機メーカーは「総合」の看板にこだわり、低付加価値の事業をすべて残して沈んでいきました。外交にも同じことが言えて、どれも捨てずに持ち続けた結果、一つひとつが小粒になって効果が薄まっている。そこを大胆にリストラクチャリングする必要があるけれども、外務省だけの問題ではなく、政治の問題である、と。
水田:
そう思います。決して簡単ではないんですけどね。
株式会社オウルズコンサルティンググループ
代表取締役CEO
羽生田 慶介
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