地政学リスクは「汎用品」にまで及んでいる。あらゆる企業が「自分事」と捉えよ(2023年9月 JBpress掲載)
「うちは半導体とか、軍事転用可能な製品を扱っていないから、米中対立なんて無関係」、「取引先は国内企業だけ。米国とも中国とも取引していないから、地政学リスクなんてうちにはない」。そう考えている企業の目の前に、大きなリスクがすでに潜んでいるかもしれない。
※2023年9月14日付のJBpressの記事を一部変更して掲載しています。
半導体を巡る米中の争いは一層激化
確かに、米中対立の主戦場は先端技術に関わる製品だ。特に、半導体を巡る米中の規制合戦は激しさを増している。2022年10月に米国は、先端半導体についてこれまでにない厳しい対中輸出規制を実施した。さらに、規制の「抜け穴」を塞ぐため、米国は先端半導体の製造装置や技術を持つ日本とオランダに対して対中規制の強化を求めた。これを受け、日本は2023年7月から半導体製造装置23品目について輸出管理を強化した。オランダも同9月から先端半導体製造装置に対する新たな輸出規制を導入することを決めた。日蘭の規制は中国を名指ししてはいないが、これらの規制によって中国は先端半導体の入手・製造が困難になる。
こうした動きに中国も黙ってはいない。中国は、2023年5月に国内の重要情報インフラ事業者に米マイクロン・テクノロジー社製品の調達を禁じた。また、同8月からは、ガリウムとゲルマニウムの関連品目を、中国当局の許可なしには輸出できない輸出管理の対象とした。ガリウムとゲルマニウムは、半導体製造等に用いられ、中国が世界最大の生産国である鉱物だ。これらの措置は、「国家の安全や利益を守るためのもの」と中国は主張しているが、日米等への事実上の報復とみられている。
米国は8月9日には、半導体や人工知能(AI)等の分野での米国企業の対中投資を規制する大統領令を発した。中国もまた、今回のガリウム・ゲルマニウム関連品目の輸出規制は「報復の始まりに過ぎない」と指摘されている。半導体を巡る米中の規制合戦は、さらに激しさを増していくだろう。
米中対立の影響は「汎用品」にも
こうした激しい「半導体戦争」に目を奪われ、米中の規制合戦などは対岸の火事だと捉えている企業があるとすれば、早急に考えを改める必要がある。
「地政学リスク」の影響が及ぶ製品は、半導体に代表される新興・先端技術や、軍事転用が懸念される軍民両用(デュアルユース)品目だけにとどまらない。日本や米国等の主要国は現在、国家安全保障・経済安全保障に加え、環境(気候変動、生物多様性等)や人権の観点からも貿易や投資に関する規制の強化を進めている。これらの規制の対象は先端技術に関わる製品から身近な日用品まで多岐にわたる。
特に人権は、米中の対立点のひとつである。イエレン米財務長官は、バイデン政権の対中政策の第一の目的として米国の国家安全保障の確保と人権保護を掲げ、「米国は世界のどこであっても、人権侵害を防止・抑止するために手段を講じ続ける」と明言している。
米国はこれまでも1930年に成立した関税法第307条に基づき、強制労働(児童労働等を含む)によって外国で採掘、生産、または製造されたすべての物品の米国への輸入を禁じていた。2021年1月に米税関がユニクロ(ファーストリテイリング社)の綿製シャツ製品の輸入を差し止めたのもこの法律による。この際、同社は同社製品のサプライチェーン上に強制労働はないと反論したが、認められなかった。
さらに、2022年6月からは「ウイグル強制労働防止法(UFLPA)」により、中国・新疆ウイグル自治区で全部または一部が採掘され、生産され、または製造された物品は強制労働の関与があったとみなされ、輸入者が強制労働によるものではないと証明しない限り輸入を禁じられた。同措置の施行から2023年8月1日までに1,733件(約3億8,464万ドル相当)の輸入が却下され、1,256件(約3億8,696万ドル相当)の輸入が保留されている。その対象となった物品は、トマトなどの農産物・食品や繊維・衣類・履物、電子機器、自動車部品等、多岐にわたる「汎用品」だ。
そして最も多くの企業が当事者意識を持たなければならないのが、太陽光パネルなどの素材である「ポリシリコン(多結晶シリコン)」だろう。住宅や自動車のみならず玩具や農業関連など多くの製品に広く搭載されている太陽電池の材料であるポリシリコン。その世界シェアの実に半分近くがウイグル産だ。肉体労働者が1トンにつき42人民元(約700円)でシリコンを手作業で砕いている強制労働が報じられている。企業がサプライチェーンの最上流までさかのぼり、原材料のケイ石(珪石)やケイ砂(珪砂)の産地まで特定するのは正直、容易ではない。だが「知りません」「関係ありません」では通じない法令が既に施行されているのだ。
国内のみでの事業活動でも安心できない
では、米国や中国との取引がなければ関係ないかと言えば、そうではない。これらの規制には、物品の製造だけでなく、調達する原材料の生産工程や販売先での製品の最終用途まで、サプライチェーン全体を見渡すことを求められるものが多い。米国等に商品を輸出している取引先から、「御社の製品の製造工程や原材料に強制労働の関与がないか」と照会を受けたことのある企業も増えているだろう。直接の顧客だけでなく、「顧客の顧客」から突然、自社製品に経済安全保障や人権保護の観点からリスクがあると指摘されるといったこともあるかもしれない。
海外ビジネスだけでなく、広く国内企業や国民生活にも影響を与えかねないと心配されているのが、「経済的威圧」だ。「経済的威圧」とは、自国の経済力を武器として、他国に自国が望む行動をとるよう、あるいは、自国にとって不利益な行動をとらないよう圧力をかけるもので、2023年5月のG7広島サミットでも議論された。福島第一原発のALPS処理水の海洋放出を巡り、中国が日本産水産物の輸入を全面停止したように、他国の主要な輸出品の輸入に高関税を課したり、重要物資の輸出を制限したりすることが多いが、それだけではない。
2017年3月には、在韓米軍への高高度防衛ミサイルシステム(THAAD)の配備に反発した中国が、韓国への団体旅行商品の販売を禁止したため、前年に800万人を超えていた中国人観光客が半減し、韓国経済は打撃を蒙った。中国は、コロナ禍下で海外への団体旅行を禁じていたが、2023年に入ってこの解除を進めている。しかし、当初は解除対象国に日本や米国は含まれていなかった。解除基準は明らかではないが、未解除国の多くが中国に対して厳しい姿勢をとっていた。日本や米国について解除されたのは8月10日になってであった。中国との関係が悪化しているカナダはいまだ解除されていない。
中国は、2021年6月には外国の対中制裁措置への対抗措置を定めた反外国制裁法を施行していた。これに続き、2023年7月には中国の主権や安全保障、利益を損なう行為には報復措置をとることを明記した対外関係法を施行した。
日本自身が中国に対する輸出管理の強化や人権問題に対する批判を強める中で、対中ビジネスを行う企業はもちろんのこと、中国人観光客向けサービスを展開している企業など、日本国内のみで事業を行っている企業でも、米中対立の激化の影響と無縁ではいられない。あらゆる企業が「地政学リスク」を「自分事」として捉え、対応することが求められている。
株式会社オウルズコンサルティンググループ
代表取締役CEO
羽生田 慶介
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