欧州連合(EU)の『欧州経済安全保障戦略』が公表された。①振興(Promoting)、②保護(Protecting)、③連携(Partnering)の取り組みを、(a)均衡(Proportionality)と(b)精密(Precision)という基本原則に基づき経済安全保障の確保を進めるとともに、それが過度に企業の事業活動を制約したり、経済に悪影響を与えたりしないよう、配慮されている。他方で、輸出管理等の規制の厳格運用や対外投資審査等の新たな措置の導入も求めている。今後域内での議論が始まるが、その行方は日本企業の事業活動にも大きな影響をもたらすとみられ、注目される。
2023年6月29日付のJBpressの記事を一部変更して掲載しています。
I.欧州委員会が経済安全保障戦略を公表
2023年6月20日、欧州連合(EU)の欧州委員会と外務・安全保障政策上級代表が共同で、『欧州経済安全保障戦略』を公表した[1]。欧州委員会のウルズラ・フォン・デア・ライエン委員長によれば、「主要国として初めて打ち出された経済安全保障に関する戦略」である[2]。同文書はいわゆる政策文書(Communication)であり、欧州委員会(及び外務・安全保障政策上級代表)としての経済安全保障に関する基本認識や取り組みの指針、EU加盟国への提案等が盛り込まれている。今後、これを土台にEU域内での議論が行われる。
本戦略は、「高まる地政学的緊張と加速する技術革新という状況下で、経済の開放性とダイナミズムを最大限に維持しつつ、特定の経済の流れから生じるリスクを最小化することに焦点を当てたもの」となっている。また、経済安全保障上のリスクに対処するにはしっかりとしたリスク評価を行う必要があるとして、①エネルギー安全保障を含むサプライチェーンの強靭性に対するリスク、②重要インフラの物理的及びサイバー・セキュリティ上のリスク、③技術安全保障や技術流出に関するリスク、④経済的依存の武器化や経済的威圧のリスク、の4つのリスクをその対象に挙げている[3]。今後、産業界の意見も取り込みながら、リスク評価が進められる。
II.EU経済安全保障戦略の5つの”P” ~3つの優先課題と2つの原則~
これらの経済安全保障上のリスクに対処するために、本戦略は3つの取り組みを優先課題に掲げている。いずれも”P”から始まる①「振興(Promoting)」、②「保護(Protecting)」、③「連携(Partnering)」、である(図表)[4]。
図表 EUの経済安全保障戦略の概要
①「振興」は、産業政策によってEU域内の技術・産業基盤の振興を図るとともに、EUの統合された域内市場(Single Market)を梃子に、グローバルなサプライチェーンの開放性を維持し、標準(standards)を形成することで、EUの競争力と供給の安全性を強化する、というものである。先端半導体、量子コンピューティング、バイオテクノロジー、ネットゼロ産業、クリーンエネルギー、重要原材料などが対象とされており、それらを実現する具体例として、すでに欧州委員会が提案している「重要原材料法案(Critical Raw Materials Act)」、「欧州半導体法案(European Chips Act)」、「ネットゼロ産業法案(Net-Zero Industry Act)」が挙げられている。
②「保護」は、EUがすでに導入している貿易救済措置や輸出管理・対内投資審査制度に加え、経済的威圧に対処するための措置などの新たな措置を導入することにより、デリスキング(リスク低減)を図ってEUを経済安全保障上のリスクから保護する、というものである。そのための方策として、(a)経済的依存の武器化と経済的威圧への対処、(b)安全保障及び公共の秩序に影響を及ぼす対内投資審査、(c)技術安全保障の確保と技術流出の防止、(d)インフラの保護、(e)両用(dual-use)品目の輸出管理に関するEUレベルでのさらなる協調、(f)対外投資による安全保障リスクへの対処、が挙げられている。
(a)経済的威圧への対処では、今秋の施行が見込まれている反威圧措置(Anti-Coercion Instrument)に触れられている[5]。同措置は、EUへの経済的威圧を抑止することを主目的としているが、最終手段として対抗措置の発動を可能にしている。(c)技術安全保障に関しては、「開放性と国際協力が、欧州の研究・技術革新の中核」としつつ、EU資金による研究成果の第三国移転の制限に触れている。また、EUの価値と利益、法体系に沿った国際標準形成の必要性を強調している。(e)輸出管理では、加盟各国の権限で実施されている輸出管理につき、EUレベルでのより迅速で協調的な行動が必要であるとして、欧州委員会が現行制度の改善策を遅くとも2023年末までに提案するとしている。(f)対外投資に関しては、軍民融合戦略をとる懸念国への技術流出のリスクを指摘し、欧州委員会がこれへの対応策を2023年末までに提案することを目指すとしている。(e)輸出管理や(f)対外投資の対象分野としては、量子コンピューティング、先端半導体、AI(Artificial Intelligence)が例示されている。さらに、前述のリスク評価において、欧州委員会は両用技術リストを、理事会(Council)が2023年9月まで採択できるよう提案するとしている。経済安全保障上のリスクに対処するために、欧州委員会が加盟国に対して、EUレベルでのさらなる政策協調と新たな措置の導入を求めていることが注目される。
③連携は、EUは単独で経済的安全保障を確保することはできないため、他国との連携を強化し、供給源と輸出入市場の多様化によるサプライチェーンのデリスキングを進めていく、というものである。連携相手は、G7諸国のような同志国(like-minded partners)に加え、共通の利益を有し、協力の意思のある可能な限り幅広い諸国とされ、日本や米国、インドを例示するとともに、途上国との連携強化の重要性が強調されている。
連携の範囲や形態は、リスクや政策領域に応じた柔軟なものとするとされており、自由貿易協定(FTA)やEUが主導する重要原材料クラブ(Critical Raw Materials Club)などの枠組みを活用するとしている。また、多国間協力の重要性にも触れ、世界貿易機関(WTO)の改革の努力を継続するとしている。
そして、これら3つの取り組みを進める基本原則として、2つの”P”、(a)「均衡(Proportionality)」と(b)「精密(Precision)」を掲げている。(a)「均衡」は、経済安全保障確保のための手段が、リスクのレベルに見合った(均衡、比例)ものであり、欧州経済や世界経済への意図しない負の波及効果を抑える、ということである。(b)「精密」は、対象となる品目、分野、基幹産業を精密(的確)に定義し、とられる措置がリスクに対応するものとする、ということである。この2つの原則は、経済安全保障の確保を口実とした、過度に企業の事業活動を制約し、経済に悪影響を与える措置を回避するとの欧州委員会の意図を示していると言えるだろう。
III. 積極的な欧州委員会と慎重な加盟諸国
『欧州経済安全保障戦略』につき、注目すべき点として、ここでは3点指摘したい。
1点目は、G7諸国と経済安全保障確保の戦略・取り組みを共有していることである。2023年5月に開催されたG7広島サミットにおける「G7広島首脳コミュニケ」[6]で示された「デカップリングではなく、多様化、パートナーシップの深化及びデリスキング」によって経済安全保障の確保を図るという基本戦略や、「経済的強靭性及び経済安全保障に関するG7首脳声明」[7]で示された「強靱なサプライチェーンの構築」、「経済的威圧への対処」、「重要・新興技術の流出防止」などに重点を置く取り組みは本戦略においても共有されており、これらのG7合意にはEUの意見が反映されているということも示している。中国を想起させる表現(「軍民融合戦略をとる懸念国」など)を使いつつも、「中国」に直接言及していない点も、「経済的強靭性及び経済安全保障に関するG7首脳声明」と本戦略で共通している。
2点目は、対象を絞った抑制的な措置により、経済安全保障の確保と自由で開かれた経済との両立を目指していることである。EUの戦略は、2つの基本原則(「均衡」と「精密」)が明示しているように、デリスキングのための取り組みがもたらす、効率性の低下やコスト増を含む、企業の事業活動の制約や経済への悪影響が過度にならないようにすることに重きを置いている。これは、輸出管理等の規制対象を絞り込み、これを厳格に管理する(small yard, high fence)という米国の取り組みと軌を一にしている。
他方、米国に比べ、EUは自由で開かれた経済の維持をより重視している。EUは従来、「開かれた戦略的自立(自律)(open strategic autonomy)」を掲げており、本戦略においても「経済の開放性」に再三触れている。本戦略の公表に当たってフォン・デア・ライエン欧州委員長は「グローバルな統合と開かれた経済は、我々のビジネス、競争力、欧州経済にとって有益な力となってきた。それは今後も変わることはない」と述べている[8]。この姿勢は、「経済統合が各国をより責任ある、開かれたものとし、世界秩序をより平和で協調的なものにする」との認識に基づくこれまで国際経済政策を批判し[9]、「効率と低コストを何よりも追求したことがサプライチェーンを脆弱でハイリスクにした」[10]として、保護主義的政策に傾く米国とは異なっている。ただし、「振興」や「保護」の具体的な取り組みを進める中で、EUがどこまでこの姿勢を貫けるか、注意を要する。
3点目は、欧州委員会(及び外務・安全保障政策上級代表)の規制厳格化への積極姿勢である。米国では、中国を念頭に議会が輸出管理や対外投資等でより厳格な規制を求めているのに対し、政権側が経済や企業の事業活動への悪影響を考慮して、これに慎重に対応している面がある。EUでは、特に「保護」において、欧州委員会側が規制の厳格運用や新たな措置を求めているのに対し、中国との経済関係への悪影響等を懸念する加盟国側がより慎重な姿勢を示している[11]。この両者の姿勢の違いは、今後の議論に反映されるだろう。
使う言葉や整理の仕方は国によって異なるが、「振興」、「保護」、「連携」という取り組みは、広島サミットで示されたように、日本を含むG7諸国で共有されたものである。本戦略で、EUとしてもこれらの取り組みを進めていくとの意志を欧州委員会は明らかにした。EUとしてこれを具体的にどのように進めていくのかは、EU域内での今後の議論に委ねられる。その行方は、日本企業の事業活動にも大きな影響を与えることになるだろう。
[1] European Commission, European Economic Security Strategy, JOIN(2023)20 final, 20 June 2023.
[2] European Commission, “An EU approach to enhance economic security,” 20 June 2023.
[3] 注1及び2に同じ。
[4] 他の2つの”P”も含め、現時点ではいずれも定訳がないため、筆者による仮訳である。
[5] European Commission, “Political agreement on new Anti-Coercion Instrument to better defend EU interests on global stage,” 6 June 2023.
[6] 外務省「G7広島首脳コミュニケ」(仮訳)、2023年5月20日。
[7] 外務省「経済的強靭性及び経済安全保障に関するG7首脳声明」(仮訳)、2023年5月20日。
[8] 注2に同じ。
[9] The White House, “Remarks by National Security Advisor Jake Sullivan on Renewing American Economic Leadership at the Brookings Institution,” 27 April 2023.
[10] Office of the United States Trade Representative, “Ambassador Katherine Tai’s Remarks at
the National Press Club on Supply Chain Resilience,” 15 June 2023.
[11] “Brussels urges EU member states to toughen measures against China,” The Financial Times, 21 June 2023.
株式会社オウルズコンサルティンググループ
プリンシパル(通商・経済安全保障担当)
菅原 淳一
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