昨今注目を集める経済安全保障について、わかりやすく解説します。
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⇒地政学リスク・経済安全保障対応支援)
1. 経済安全保障とは
1-1. 経済安全保障が注目された背景
経済安全保障とは、経済的な手段を用いて国家や国民の安全保障を確保することの総称です。
現在、モノの供給網(サプライチェーン)は全世界に広がっています。新型コロナウイルス感染症などのパンデミック、国際的な紛争や貿易摩擦、地震や洪水などの自然災害といった様々な理由によって、生産の縮小や輸送経路の遮断、諸外国による重要物資の囲い込みなどが起きると、必要なモノが国民に届かなくなります。昨今の国際情勢下で顕著な課題となっています。
また、2023年6月の総合科学技術・イノベーション会議で岸田首相も述べているとおり、「生成AI(人工知能)や量子などの技術が急速に進展し、先端技術開発や人材投資の国際競争が激化」しています。
軍事と産業の両方に活用できる「軍民両用(デュアルユース)」の製品・サービスが拡大していることも背景にあります。軍民両用の代表例はコンピューターやインターネット、全地球測位システム(GPS)、センシング、ドローン、ロボット、先端素材などです。日本では、科学技術が戦争に寄与したとの反省から軍民両用の推進を避ける傾向がありました。しかしながら、諸外国が軍民両用を推進し、産業の技術革新と国防力の強化を同時に進めるなかで、先端技術分野の国際競争力を高めるため日本の姿勢も変化してきました。最近では、国家安全保障も踏まえた先端技術の社会実装が官民連携のもとで進められています。
情報通信技術の発達によってサイバー攻撃が増加していることも大きな懸念のひとつです。総務省の情報通信白書によると、情報通信研究機構(NICT)が運用する大規模サイバー攻撃観測網(NICTER)が2022年に観測したサイバー攻撃関連の通信数(約5,226億パケット)は、2015年(約632億パケット)と比べて8.3倍になりました。警視庁のレポートにおいても、大手システム事業者、電子部品関連企業等への不正アクセスやDDoS攻撃(ウェブサイトやサーバーに対して過剰なアクセスやデータを送付するサイバー攻撃)による被害とみられるウェブサイトの閲覧障害が複数発生したことが報告されています。
このように、物資の安定供給、先端分野の技術開発、サイバー攻撃からの保護といった複数の観点から経済安全保障への対応が求められています。
1-2. 経済安全保障推進法の施行
日本では、2021年10月に誕生した岸田政権で経済安全保障担当大臣が新設されました。岸田政権は経済安全保障を最重要課題のひとつと位置づけ、戦略物資の確保、技術流出の防止に向けた取組、強靱なサプライチェーンの構築等を目指しました。また、経済安全保障法制に関する有識者会議を立ち上げて2021年11月から議論を重ね、2022年5月に経済施策を一体的に講ずることによる安全保障の確保の推進に関する法律(経済安全保障推進法)が成立しました。経済安全保障推進法は、(1)重要物資の安定供給(サプライチェーンの強化)、(2)基幹インフラ役務の安定的な提供の確保、(3)先端的な重要技術の開発⽀援、(4)特許出願の非公開を4本柱としています。経済安全保障推進法は、公布(2022年5月18日)から6か月~2年をかけて段階的に施行されています。
2. 経済安全保障推進法における「2つの概念」
経済安全保障推進法を理解するうえで、「戦略的自律性」と「戦略的不可欠性」の概念の理解が欠かせません。
2-1. 戦略的自律性とは、わが国の国民生活および社会経済活動の維持に不可欠な基盤を強靭化することにより、いかなる状況の下でも他国に過度に依存することなく、国民生活と正常な経済運営というわが国の安全保障の目的を実現することを指します。(2020年12月 自由民主党 提言「経済安全保障戦略の策定に向けて」より)経済安全保障推進法の4つの柱のうち、重要物資の安定供給(サプライチェーンの強化)、と基幹インフラ役務の安定的な提供の確保がこれに該当します。
2-2. 戦略的不可欠性とは、国際社会全体の産業構造の中で、わが国の存在が国際社会にとって不可欠であるような分野を戦略的に拡大していくことにより、わが国の長期的・持続的な繁栄及び国家安全保障を確保することを指します。(出所は同上)4つの柱のうち、先端的な重要技術の開発⽀援と特許出願の非公開が該当します。
3. 経済安全保障推進法における「4つの柱」
経済安全保障推進法は、(1)重要物資の安定供給(サプライチェーンの強化)、(2)基幹インフラ役務の安定的な提供の確保、(3)先端的な重要技術の開発⽀援、(4)特許出願の非公開が4本柱です。
3-1. 重要物資の安定供給(サプライチェーンの強化)|戦略的自律性
新型コロナウイルス感染症の拡大やロシアによるウクライナ侵略などによって、医療物資や半導体などの重要物資のサプライチェーンが途絶するリスクが顕在化したことが制定の背景にあります。「特定重要物資」として指定した品目の安定供給を図る内容で、指定されるためには下記の4つの要件があります。
・ 国民の生存に必要不可欠な又は広く国民生活若しくは経済活動が依拠している重要な物資である(重要性)
・ 外部に過度に依存し、又は依存するおそれがある(外部依存性)
・ 外部から行われる行為により国家及び国民の安全を損なう事態を未然に防止する必要がある(外部から行われる行為による供給途絶等の蓋然性)
・ 安定供給確保を図ることが特に必要と認められる(本制度により安定供給確保のための措置を講ずる必要性)
これらの要件に基づき、2024年4月現在、12分野が「特定重要物資」として指定されています。指定されているのは、抗菌性物質製剤、肥料、永久磁石、工作機械・産業用ロボット、航空機の部品、半導体素子及び集積回路、蓄電池、クラウドプログラム、可燃性天然ガス、金属鉱産物、船舶の部品、先端電子部品(コンデンサー及びろ波器)です。
各事業者は、各物資の所管大臣が制定する方針に沿って特定重要物資の安定供給確保のための取組(生産基盤の整備、供給源の多様化、備蓄、生産技術開発、代替物資開発等)に関する計画を作成し、所管大臣の承認を受けることが可能になります。承認を受けた事業者は、計画の実施について金融支援等を受けることができるようになります。
3-2. 基幹インフラ役務の安定的な提供|戦略的自律性
2つめの柱は、基幹インフラ役務の安定的な提供です。基幹インフラの重要設備の安定期な提供が日本国外からサイバー攻撃によって妨害されることを防止するため、重要設備の導入・維持管理等を事前に政府が審査する仕組みです。
2022年5月に帝国データバンクが全国2万5,141社を対象に実施した「経済安全保障に対する企業の意識調査 」(有効回答企業数は 1 万 1,605 社)では、経済安全保障推進法の4本柱のうち企業活動にとって最も関係のある項目は何かとの質問で「基幹インフラ役務の安定的な提供の確保」が20.9%で1位になりました。企業からの関心も高い分野です。
審査対象として、電気、ガス、石油、水道、鉄道、貨物自動車運送、外航海運、航空、空港、電気通信、放送、郵便、金融、クレジットカードに属する各事業者が指定されています。2024年5月には、港湾のコンテナターミナルの積み降ろし作業などを行う一般港湾運送事業が追加されました。設備の機能が停止・低下した場合に、役務の安定的な提供に支障が生じ、国家・国民の安全を損なうおそれが大きい事業者が対象です。
審査の対象となった事業者は、重要設備の導入・維持管理等の委託に関する計画書(委託の相手方を含む)の届出を事前に行い、審査の結果、重要設備が日本国外から行われる役務の安定的な提供を妨害する行為の手段として使用されるおそれが大きいと認められるときは、妨害行為を防止するため必要な措置(重要設備の導入・維持管理等の内容の変更・中止等)の勧告を受けることになります。
3-3. 先端的な重要技術の開発⽀援|戦略的不可欠性
3つめの柱は先端的な重要技術の開発の支援です。経済安全保障推進法では、将来の国民生活・経済活動の維持にとって重要なものとなり得る先端的な技術のうち、その技術が外部に不当に利用された場合において国家・国民の安全を損なう事態を生ずるおそれがあるものなどを「特定重要技術」と定義し、これらの技術に関し、官民連携を通じた伴走支援のための協議会の設置、指定基金協議会の設置等による強力な支援、調査研究業務の委託等の枠組みを通じて、特定重要技術の研究開発の促進とその成果の適切な活用を図ることとしています。
2022年9月の閣議決定では、今後の「特定重要技術」の絞り込みにあたって次の技術領域を参考にするとされています。バイオ技術、医療・公衆衛生技術(ゲノム学含む)、人工知能・機械学習技術、先端コンピューティング技術、マイクロプロセッサ・半導体技術、データ科学・分析・蓄積・運用技術、先端エンジニアリング・製造技術、ロボット工学、量子情報科学、先端監視・測位・センサー技術、脳コンピュータ・インターフェース技術、先端エネルギー・蓄エネルギー技術、高度情報通信・ネットワーク技術、サイバーセキュリティ技術、宇宙関連技術、海洋関連技術、輸送技術、極超音速、化学・生物・放射性物質及び核(CBRN)、先端材料科学。
3-4. 特許出願の非公開制度|戦略的不可欠性
4つめの柱は、特許出願の非公開制度の導入です。核兵器の開発につながるウラン濃縮など公にすることにより国家及び国民の安全を損なう事態を生ずるおそれが大きい発明が記載されている特許出願につき、出願公開等の手続を留保するとともに、その間、必要な情報保全措置を講じることで特許手続を通じた機微な技術の公開や情報流出を防止する制度です。
制度の概要としては、第一次審査(スクリーニング審査)として、特許庁において当該出願が政令で定める技術分野に該当するかの第一次審査が実施されます。第一次審査において安全保障の懸念があると判断された技術については、内閣府の二次審査(保全審査)に進みます。保全の指定を受けた特許については、一年毎に延長の要否を判断され、保全期間中は出願の取下げ禁⽌、発明内容の開⽰の原則禁⽌、発明情報の適正管理義務、他の事業者との発明の共有の承認制、発明の実施の許可制、外国への出願の禁⽌等が求められます。発明の実施の不許可等により損失を受けた者に対しては、通常⽣ずべき損失(ライセンス収入など)の補填が行われることとなっています。
なお、かねてより議論されていたセキュリティ・クリアランス制度を創設する法案についても、2024年5月の国会で成立しました(正式名称:重要経済安保情報の保護及び活用に関する法律)。我が国の経済安全保障の確保のため秘匿にすべき重要情報を適確に保護するため、情報にアクセスできる人の適正評価を行う仕組みです。詳細な運用基準は今度制定されることになっています。
4. 米国・欧州(EU)・中国における経済安全保障の取り組み
米国や欧州、中国でも経済安全保障の取り組みが進んでいます。
4-1. 米国の経済安全保障政策
米国のバイデン政権は発足当初より、国家安全保障及び経済安全保障の強化のため、連邦政府主導の産業政策によって国内生産基盤強化とサプライチェーン強靱化を進める方針を示してきました。2021年2月の「サプライチェーンに関する大統領令」及びこれに基づく報告書は、「バイ・アメリカン」の強化(政府調達における国内調達率の引き上げ・国内製品要件の厳格化)など、自国優先・保護主義的施策の実現を目指す姿勢を明確にしています。
それが改めて確認されたのが、「新ワシントン・コンセンサス」として注目された2023年4月のジェイク・サリバン国家安全保障担当大統領補佐官による演説です。サリバン大統領補佐官は、市場原理を過信したことが米国の国内産業基盤の空洞化を招いたとして、「現代的な産業戦略(a modern American industrial strategy)」によって米国内に新たな産業基盤を構築するというバイデン政権の政策を訴えました。
米国は、中国が技術面で優位に立つことを警戒し、中国企業への制裁も重ねています。その一環として、米国の輸出管理規則に基づいて、2020年12月に中国大手の半導体製造企業(ファウンドリ)を輸出規制の対象としてエンティティ・リストに追加しました。エンティティ・リストに追加されると、米国製品(物品・ソフトウエア・技術)を輸出・再輸出する際に、米国政府による事前の許可が必要になります。特別な事情がない限りは許可されないため、事実上の禁輸リストと捉えられています。中国企業は半導体製造のための最先端の部材や製造装置などが輸入できなくなり、半導体の生産に影響が出ました。
このほか、人権侵害を理由にしたエンティティ・リストへの掲載の追加・米国への輸入制限や、半導体・エレクトロニクス、量子情報技術、AIを中心とした対外投資の規制の強化などを相次いで行っています。
例えば2024年2月には、ロシア、中国、トルコ等の93の事業体がエンティティ・リストに追加されました。米国政府はまた、安全保障上のリスクのある通信機器を排除するため、情報通信技術サプライチェーンにおける中国企業の排除も行っています。
なお、米国の先端技術規制は「スモール・ヤード・ハイ・フェンス」の姿勢をとっています。つまり、幅広い産業に規制をかけるのではなく、対象を限定した上で高い規制を導入するという考え方です。
4-2. 欧州の経済安全保障政策
欧州では、2023年6月に欧州(EU)委員会と外務・安全保障政策上級代表が共同で「欧州経済安全保障戦略」を公表しました。欧州委員会のウルズラ・フォン・デア・ライエン委員長によれば、「主要国として初めて打ち出された経済安全保障に関する戦略」です。
これを受けて、EUは2024年1月に経済安全保障に関する政策パッケージを発表しました。EU経済に対する貿易、投資、研究の開放を維持しながら、EUの経済安全保障を強化することを目的としています。政策パッケージでは、EUへの外国投資の審査の強化、高度な電子機器、毒素、核やミサイル技術など民生用途と防衛用途の両方を伴うデュアルユースの品目について、安全保障や人権を損なう目的で使用されないための輸出管理の強化、デュアルユースの可能性のある技術への研究開発支援の拡充、EU域内の研究開発におけるセキュリティーの強化などの方針を示しました。
2023年10月からは、中国製の電気自動車(EV)が不当な補助金を受けて安値でEUに流入している可能性があるとして調査を実施しています。不当な補助金の存在が認められた場合は、中国から輸入されるEVに追加関税が課されることになります。
4-3. 中国の経済安全保障政策
中国も相次いで経済安全保障にかかる政策を実行しています。2023年12月には、輸出禁止・制限技術の目録(リスト)を改定し、レアアースの精製、加工、利用にかかる技術を輸出禁止リストに追加しました。レアアースはスマートフォン、EVや風力タービン等様々な製品に使用されています。この改定はレアアース製品の輸出の制限ではないものの、他国によるレアアース産業の発展に影響を及ぼします。
2023年8月には希少金属のガリウム、ゲルマニウム及び関連製品を輸出管理の対象としました。ガリウムとゲルマニウムは、半導体、LED、5Gの基地局、太陽電池などさまざまな電子部品の製造に使用される材料で、中国が世界で圧倒的なシェアを持っています。調達を中国に依存している場合は入手が困難になります。
中国版の「信頼できないエンティティ・リスト」も運用されています。2023年2月に米国のロッキード・マーティン社とレイセオン・ミサイルズ・アンド・ディフェンス社がリストに掲載されました。台湾への武器売却によって中国の安全性を損なったことが主な理由です。中国に関連する輸出入や中国での新たな投資、高級管理職の入境等が禁止されます。
さらに注目を集めているのが反外国制裁法です。中国企業や中国政府の幹部や対する米国やカナダ等による制裁措置に対し、中国による対抗措置の根拠法として2021年6月に制定されたものです。制定当初から詳細が明確ではなく、中国企業と取引を行う日本企業が欧米の法令と中国の反外国制裁法の板挟みになるリスクがあります。反外国制裁法が発動された事例としては、2022年2月に米国のロッキード・マーチン社とレイセオン・テクノロジーズ社、2022年12月に余茂春氏(米国のマイク・ポンペオ前国務長官の中国問題顧問)とトッド・スタイン氏(米国議会中国委員会事務局副主任)等があります。両氏には、中国境内の動産、不動産及びその他の各種財産の凍結、中国境内の組織・個人との関連取引活動の禁止等が課されました。
また、「データ3法」と呼ばれるデータ関連法令を制定し、個人情報や重要情報の中国外への持ち出しを制限しています。
5. 経済安全保障推進法が与える日本企業への影響と課題
主要国による経済安全保障への取り組みによって、日本企業のビジネスへの影響の拡大が想定されます。
例えば、エンティティ・リストの拡大や輸出規制による原材料調達の急速なコスト増加や欠品の可能性、国境を越えたデータ移転の不許可による事業の混乱、輸出管理法令の「みなし輸出」や経済安全保障推進法のコンプラ対応、中国企業等との関係を理由としたM&Aの不承認・審査遅延、各種制限リストや輸出入手続きの法務部対応の限界、自社製品の軍事転用、人権侵害(児童労働・強制労働)の恐れ、米国法に従うことによる中国からの制裁(あるいはその逆)などです。
これらに備えるため、経済安全保障対応の重要性の理解浸透、ワークフローの整備、専門知識を有する人材の確保、上流・下流を含む自社サプライチェーンの情報収集などの対応が求められます。
6. まとめ
経済安全保障の対応は、いまやあらゆる事業者にとっての喫緊の対応課題です。
オウルズコンサルティンググループは、所属コンサルタントの多くが戦略コンサルティングファーム出身であり、経営戦略・グローバル事業戦略のプロジェクトを多数リードした経験と、通商・地政学・経済安全保障領域の専門性を併せ持つチーム体制を構築しています。
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